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虫についての怖かった思い出。

クモ編
小学校低学年だったと思います。
夜中にふと目が覚めたら、
顔のちょうど真上(天井)に大きなクモが!

クモは座っている状態で発見しても怖くありません。
横になっている状態で枕元を横切ったりされると、
ドキっとします。


ゴキちゃん編
小学校高学年の思い出。家の壁を伝うゴキちゃん発見。
やっつけようと近づいて行くと
3mの距離からこちらへ。バサバサバサ~。
私の胸にペタリ。めっちゃ焦りました。

社会人になってからの話。
昼食に行こうと自転車で信号待ち中。
木の上から私の首筋に何かがポトっ。
背中(地肌を)カサカサカサ。

マッハの速さで自転車こかして上半身裸(笑)
回りの人は何事かと思ったでしょう。
シャツをバサバサさせるとゴキちゃんポトン。
パンツの中でなかったことが不幸中の幸い(笑)


長虫編
小学1年の時、夏休みの話。
海水浴(水深胸の辺り)で遊んでいると
前方からこちらへ海ヘビがにょろにょろ~!!
これがもっとも怖かった思い出かもしれません。

陸上のヘビについて
アオダイショウは結構捕まえて
振り回して遊んだ記憶があります。
巻きつかれるとかなり焦ります。

そういえば白ヘビが庭の木の枝に
ぶら下がっていたことがあります。
子供心に神様の使いなのでは?と考えてたことを
昨日のことのように思い返せます。


でんでん虫編
子供の頃、庭にお風呂場がありました。
カマドウマやナメクジが浴槽の中で死んでました。
それくらいなら全く動じません。

ナメクジをたまに素足で踏んづけることがありました。
土踏まずでうにょん。
何度飛び上がって驚いたことでしょう。


ハチ編
幼稚園の時の思い出。
親指の先をミツバチに刺されて
ものすごく痛かった記憶があります。

成人してから、河川敷でミツバチ2匹同時に
腕と肩を刺されたことがあります。
ハチのいそうなところへ出かける時は
白い服を着るように心がけています。


ハエ編
小学生時代、度胸試しをしたことがあります。
ウンチに大量にとまっているハエ。
どこまで近づけるかの勝負(笑)
一斉にハエがぶぁ~ん。猛ダッシュで逃げました。




虫について
子供の頃に比べて興味がものすごく薄れています。
単純に関わりたくない気持ちがあります。特に害虫。


汚物、腐敗、屍骸を好む習性。
暗くジメジメしたところを好む習性。
本能的に如何かと思います。


また大量に発生するのもどうでしょう。
石をひっくり返したら得たいの知れない虫がウジャウジャ。
街頭に発生する燐粉撒き散らす蛾の群れ。
河川敷に夕方頃、出てくる羽虫の大群。
何回食べてしまったことか(泣)
喉が渇いてる時、口の奥に入るとキツいですよね(笑)


そういえば耳の中に蚊が飛び込んできて
暴れた時にはびっくりしました(笑)


虫については毒のある虫は別にして
恐いというより嫌悪感かな。


寄生虫の本など読むと、想像しただけで気分が悪くなります。
お腹の中に何mもある虫がいたとか、
全身に寄生虫があふれた話など、
生もの、絶対に口にしないぞ!と何度思ったことでしょう。


そろそろTBテーマに応じさせて頂きます。



第1440回FC2公式トラックバックテーマ
「この虫が怖い!」



回答させて頂きます。
娘につく悪い虫が恐いです(笑)




今回のTBテーマ、最初に浮かんだのが
まんじゅうが怖い。お茶が怖い(笑)
このオチに引っ張れるよう模索しました。
実力不足でした(爆)


でもまぁいいや。Youtubeで
「まんじゅうこわい」の落語聞けたから(笑)
最後にWiki「恐怖症」 引用して終わりにします。

恐怖症患者は、日常生活において
恐怖の対象を避ける工夫をしてすごしている。
恐怖の対象に遭遇したとき、恐怖心や不安感の程度によって、
不快感やめまい、吐き気といった症状を催すが、
極端な場合にはパニック発作をきたすこともありうる。

これらの恐怖症は、子供の頃の無知から感じる恐怖や、
偶然に経験した恐怖体験がきっかけとなって出現する。
生活において、大きな障害とならない限りは
個人の個性として尊重すべき弱点であり、
放置しておくうちに次第に軽減したり、
克服経験によって解消されることが多い

恐怖症は、不安障害のもっとも代表的な形式である。
アメリカの国立精神保健研究所が行ったある調査では、
アメリカ人の5.1%から21.5%が
何らかの恐怖症を抱えていることが明らかになった。

年代および性別で分類すると、
恐怖症はすべての年代の女性において最も見られる精神疾患であり、
25歳以上の男性においては、2番目に多く見られる精神疾患である



特定の虫が怖い、これは幼い頃に感じた恐怖を
未処理のままにしたことが原因のようですね。


(当記事は、2012年6月5日に投稿させて頂いたエントリーを再アップしたものです。)


のんびり女子学生の小部屋。
管理者:秋哉さん
Gの恐怖について記事を作成されています。
よろしければお願いします。
Gをうにょん!!小4の夏(泣)




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テレビがないのにNHK受信料を払っています

我が家にはテレビがありません。
にも関わらずNHK受信料を支払っています。



テレビは今年1月、山の神様が子供と里帰りしている時に処分。
(パソコンは昨秋、1才の息子が誕生した時に処分。)


我が家にはテレビもパソコンもありません。
スマホもワンセグ契約していません。
カーナビもありません。




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今春、山の神様がNHK訪問員の方に、
NHK受信料について問い合わせをしました。
回答は、ワンセグ機能付きの携帯を持っているなら払う義務がある。
その一点張りでした。


当時は、共働きで生後半年の子供がいる慌ただしい状況下、
ラチがあかず折れるしかありませんでした。
納得いかないまま、現在も累積黒字2000億円ともいわれるNHKに
受信料を払い続けています。




テレビのない生活について。
テレビを観ないという話はよく聞きます。
実際、テレビを持っていないという方は、
どれくらいいらっしゃるのでしょうね。


テレビのない生活。
親にとっては、子供と向き合う必要がより強く出てきます。
一緒にゲームををしたり、歌を歌ったり、お絵かきしたり、
本を読んだり、勉強したり、屋外で遊んだり…
大変だけど、楽しくもあります。


テレビは、もしかしたら年内に1台買うかもしれません。
(大晦日にテレビがないのはちと寂しい^^)
パソコンは、子供から目が離せるまで、
あと数年は買わないと思います。


ブログはスマホ中心ゆえ、
記事作成及びコメント交流が難しい状況。
これからも巡回、読み逃げでお願いします。


NHK受信料の支払いについて。
ネット検索すれば沢山HITします。
当エントリーでは割愛。


我が家は、幼子を抱えながら共働きせざるを得ない生活。
実りある教養番組、教育番組、幼児番組を作ってほしい。
そのように考え、苦しい家計の中、NHK受信料を捻出しています。




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まな板の鯉として自ら俎上に載る話

「はじめに言葉ありき」 
遥か大昔から、私たちは言葉を耳にし、目にし、口にしてきました。
現代社会において、マスメディア、インターネットを通じて、
ありとあらゆる言葉が、私たちの身体を駆け抜けていきます。


万感の思いがこもった一言。ふと口から出た本音。
心にもないウソ。雑言。挨拶。可視なもの。不可視なもの。
日常生活を通じて、私たちは様々な言葉と出合います。


古今東西、人がもっとも関心のあることは、
人間ついて。
人はいつも人間性について、人間社会について、
己について、言葉通じて探求しています。






私は、薄っぺらな自惚れにしがみつき、
ブログを運営してきています。
楽しみであるはずのブログ、記事を作成しながら、
自己嫌悪に陥ることが多々ありました。


ブログとは、人の観察記録。日記。


ブログは数多に存在します。
ブログを楽しまれる方は、多くのブログを巡回します。


他人の書いた日記を覗き見する。
なんと浅ましく、楽しい行為なのでしょう。


日記には、どんなに極秘に書かれようとも、
心の奥底では、誰かに読んでもらいたいという想いが存在します。
ましてやブログ。全世界に門戸が開かれています。
その想いは、尚更強いものがあるでしょう。


ブログは、どんなに赤裸々に語られようとも、
そこに保身が存在します。
安全な立ち位置が確保されています。


ブログには、誰かに自分のことを分かってもらいたい。
自分のことを良く思ってほしい。
強い自己愛が存在します。


ブログに純粋な客観性は存在しません。
ブログは、自分勝手であり、独りよがりの産物。
いうなれば偽善に塗れた自己顕示欲の塊。
私のブログは、いつも混乱し、酩酊しています。


訪問者は、1~2日分の記事を拾い読み、つまみ食いします。
混迷の中から、筆が滑った言葉を探します。
言葉にならなかった情念を推察します。
執筆者を丸裸にしようと試みます。


人は誰もが探偵、心理学者。
探偵が、犯人の残した痕跡を辿るかのように、
ブログエントリー、コメントを通じて、
執筆者の人間性を観察します。


訪問者は、筆者の意図しない別の感慨を得ます。
「人のふり見て我がふり直せ」
良くも悪くも、人間性を教訓として持ち帰ります。


私にできることは、まな板の鯉として
自ら俎上に載ること。
そして個々の訪問者の瞳に映る
「私」を持ち帰って頂くこと。


中編へ続く^^












まず初めに共感ありき


私のブログは、私の意図したようには読まれません。


ブログコメント欄は、大人の社交場です。
共感できない箇所については、コメントを省略するか、
最小限度に留めるように工夫を図るでしょう。


それぞれ相手を楽しくさせたいという思いを持って、
節度あるコメント対話を楽しむでしょう。


私は、FC2バトンをいくつか作成しています。
バトンは、バトン作者のブログを訪問せずとも、
回答することが可能です。


私は、私が作成したバトン記事を辿って、
バトン回答者のブログを初訪問します。
そこで、辛らつな言葉とぶつかることがあります。


ぐさりぐさりとやられることがあります。
記事の存在自体を、真っ向から否定されることがあります。
一刀両断に、ズバンと切られることがあります。
普段、コメント交流してくださる方の優しさが身に沁みます(笑)


私は、ニュースサイトの記事、論評を読むことがあります。
コメント欄がいつも荒れています。
肯定、共感コメントは殆どありません。


記事の内容や、執筆者の想いを
あっさりと否定することによって、
自己を確立させる形のコメントが目立ちます。


匿名性が強いネット社会には、
言葉への責任が放棄されやすい性質があります。
みなが好き勝手に自我を張れば、
露出して擦れ合い、殺伐とした空気が生まれます。


自由とは、傍若無人に振舞うことではなく、
責任を伴うものだということを、
自覚する必要があると感じます。


人には自尊心があります。
嫉妬心が渦巻くこともあるでしょう。
時には他者を否定することによって、
自己を守ることもあるでしょう。


人は、他人を褒めることが
本質的には嫌いなのでしょうか…


人間に関心を持つ。それは、その人のことを好きになる、
その人の見えない良さを見つける、
その人の良さを評価することだと思っています。
それが、人を見る目を養うことに繋がると信じています。


人間の負の部分を凝視する。他者との相違を見極める。
他者に流されない、影響されない自我を確立することも大切なことです。


同様に、他者と同化させる、想いを感応させる訓練も、
社会生活を営む上で、大切なことだと私は考えています。
それこそが、学ぶ姿勢を育むのではないかと考えています。


他者に共感する行為は、
どこまで行っても果てがないということ。
他者に共感する行為は、他者を否定する行為以上に、
好奇心が求められるということ。


好奇心は情念。
情念は、苦悩の源泉、よろこびの源泉。
感受性を輝かせ、情念を燃やすことが、
人間的厚みを増させるように感じます。


その人のことを好きになる。その人の良いところを見出す。
それらを念頭に人と会う。ブログを訪問する。
学ぶということ、褒めることを前提に他者と交流をはかる。


自らの人生を、実りあるものにするための、
極意なのかなという気がします。


人は、一人では生きていくことはできません。
まず初めに共感ありき。


後編へ続く。












ブログを運営される方は、
基本的に活字が好き。読むことが好き。
文章を綴ることが好きだと考えられます。


人間の思想や情念の中には、
多くの人生経験を積んでからでないと
心に届かないものがあります。
理解できないものがあります。


ある時、見えなかったものが見えるようになる。
格別の嬉しさがあります。


お気に入りの本を何度も再読する。
そのたびに新しい鉱脈を発見できる。
楽しいひと時でしょう。


本は、読む時の心境や年齢に応じて、
異なる養分を与えてくれます。


この世の中には、偉大な思想、名著が存在します。
無意味な思想、役に立たない書物は存在しないと考えています。


古典といわれる本であれ、くず本とよばれる本であれ、
そこから何を得、何を学び、何を骨肉とするかは、
読み手側の資質、人間性に拠るのではないかと思っています。


ブログも人間が作成したもの。
ブログ訪問した際は、その存在性を尊び、
細部に魂が感じられるよう、ただ敬虔な心持ちを意識、
ブログを楽しく玩味したいと考えています。


ブログ運営する時は、それらも踏まえ、
臆することなく、あるがまま。
まな板の鯉として俎上に載りたいと思っています。



私の大切なお友達、
きょうもいいてんきっ♪♪♪
運営者のゆう。さんも私と同テーマについて、
簡潔に力強い言葉で語っています。
↓↓よろしければご参照お願いします。
っ わたしが此処で綴るワケ。








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