「渚の誓い」エア・サプライ
音楽のある生活 > ボーカル(洋楽など) - 2011年11月24日 (木)
“ Making Love Out Nothing At All ” Air Supply
エア・サプライ、この名前は甘酸っぱい記憶と共に甦ります。
小学校高学年で深夜ラジオを聞き始め、
(といっても夜10時から深夜1時くらいの間)
そこで洋楽というジャンルに出会いました。
中学高校と洋楽(英米)を聴き、
その後、ワールドミュージックに目覚めたり、
ジャズにはまったりするのが、一般的だったような気がします。
私がエア・サプライに出会ったのは中学生の時、
その時すでにエア・サプライを聴くことは、
ABBAを聴くのと同じくらい恥ずかしい感情がありました。
実際、背伸びしたい年頃の少年達にとって、
イケてない音楽の代表のような扱いだったと記憶しています。
彼らがオーストラリア人だったことも、災いしたのかも知れません。
裏を返せば、それだけ分かり易く、美しく、
そして少年達の心を打つ音楽だったように思います。
大人になってから、高校時代の話をします。
エア・サプライのベスト盤を死ぬほど聴いてたとか、
ABBAのアルバム全部持ってたなど、カミングアウトの連発。
大笑いした記憶もあります。
よろしかったら聴いてみて下さい。
多感な少年が背を向けたくなる程、
分かり易く、美しく、そして心を打つ。
「渚の誓い」エア・サプライです。
エア・サプライ、この名前は甘酸っぱい記憶と共に甦ります。
小学校高学年で深夜ラジオを聞き始め、
(といっても夜10時から深夜1時くらいの間)
そこで洋楽というジャンルに出会いました。
中学高校と洋楽(英米)を聴き、
その後、ワールドミュージックに目覚めたり、
ジャズにはまったりするのが、一般的だったような気がします。
私がエア・サプライに出会ったのは中学生の時、
その時すでにエア・サプライを聴くことは、
ABBAを聴くのと同じくらい恥ずかしい感情がありました。
実際、背伸びしたい年頃の少年達にとって、
イケてない音楽の代表のような扱いだったと記憶しています。
彼らがオーストラリア人だったことも、災いしたのかも知れません。
裏を返せば、それだけ分かり易く、美しく、
そして少年達の心を打つ音楽だったように思います。
大人になってから、高校時代の話をします。
エア・サプライのベスト盤を死ぬほど聴いてたとか、
ABBAのアルバム全部持ってたなど、カミングアウトの連発。
大笑いした記憶もあります。
よろしかったら聴いてみて下さい。
多感な少年が背を向けたくなる程、
分かり易く、美しく、そして心を打つ。
「渚の誓い」エア・サプライです。