教育について考える。「問いの悪い者には答えるな。」

3才の娘は、「これは何?」と私に問いかけます。
5才の娘は、「これははどうしてこうなの?」
問いの立て方がしっかりして来ています。
考えるとは問いを立てるということ。
なぜ?どうして?疑問を発するいうこと。
問いがあって、初めて考えることができるでしょう。
逆に言えば、問いを立てることができなければ、
考えることができなくなるでしょう。
現代は問いを立てることが、難しい時代だと感じています。
テレビを見ているだけで、
受動的に情報が洪水のように押し寄せてきます。
考える力を養うことが、困難なように感じています。
身近な人間関係においても色々考えることがあります。
昼休みに読書していると、「本が好きなんですか?」
話しかけられ、返答に窮したことがあります。
問いが漠然としすぎてますよね。
「問いの悪い者には答えるな。」
荀子の言葉があります。
問いかけを工夫すれば、話が弾むことがあるでしょう。
これはブログでも同じなんでしょうね。
ブログで恥ずかしい失敗談を披露したことがあります。
コメント欄に同様の失敗談が集まり、楽しかったことがあります。
記事を作成する時、正しく問いを発せられているのか?
記事のテーマは何なのか?
この観点を持つことも大切なことなんでしょうね。
問いについて考えながら、私は娘と対話しています。
対話しながら娘のことを深く見つめます。
娘も対話しながら、私のことを深く観察しているでしょう。
言葉よりも大切な物のやり取りをしていると思っています。
私が子供の頃、両親と会話する時、言葉よりも、
その時どのような表情で話しているのか、何を感じているのか、
そのことばかり注視していたような気がします。
言葉は受け取っていなかったような気がします。
子供の頃、夜遅くふと目覚めると、母が私の服を縫い繕っていました。
早朝、目覚めると父が薄明かりの中、出勤に備えて着替えていました。
私は自分の両親について、どこの会社だとか、学歴は何など、
レッテルを貼って見た事は一度もないと思います。
父は母をいたわっているのか?母は父を大切に思っているのか?
両親は私のことをどれくらい理解してくれているのか?
問題が起きた時、どのように行動するだろう?
生きることに誇りを感じているのか?喜びを感じているのか?
私はいつも本質を見ようとしていたように感じます。
タグとレッテル、そして 幸せの基準。
♪ウサコさんと私〜虹色ハッピーライフ♪
管理者:♪ねこ♪さんのエントリーです。
♪ねこ♪さんの記事を拝見させて頂いた時、
私と娘たちは互いにタグやレッテルという
ものさしを使わずに見つめ合っている。
最初にそのイメージが頭に浮かびました。

学生時代、社会人になってから、
レッテルを貼られた人、貼る人を見たことがあります。
「あいつは何をやらせてもダメな奴だ!」
レッテルを貼るということは、とっても楽な方法です。
それが結論になります。もう考える必要がありません。
スピードが優先される情報化社会において、
必要不可欠なことでもあります。
例えば、テレビタレントは一瞬でレッテルを貼られます。
お笑いタレント、歌手、俳優など。
そこからはもう何も生まれないと思っています。
物事は色めがねという先入観で見る限り、
本質を見極めることはできないでしょう。
私は自分の持ち物、衣類など、
どこのブランドなのか、好みを知られることが嫌いです。
読んできた書物についても、極力知られないよう配慮します。


これはレッテルを貼られたくない。貼りたくない。
自分の本質を見て欲しい。相手の本質を見たい。
先入観に惑わされず、思いやるという気持ちで繋がりたい。
その防衛本能からきていると思っています。
過去の経験談を披露させて頂きます。
私は学生の頃、カメラに凝った時期がありました。
ある時、カメラの機材を入れるため、
カメラメーカーのカバンを購入しました。
デザインがハンティング・ワールドと似てなくもありませんでした。
多くの人が私のカバンのタグをチェックしに来ました。
中には露骨に「違うんか!」失礼な言葉を吐く知人もいました。
またある時は、突然、私のシャツの襟首をひっくり返し、
「なんや、エンポリオかぁ!」
無礼な言葉を吐く知人もいました。
(ジョルジオでは?というご期待に沿えず悪うござんした☆)

バブルの時代は、ファッション1つとっても
どんなデザインの服を着ているかより、
どこのブランドの服を着ているかの方が大事。
そのような風潮がありました。
タグやレッテル、人は誰でも無意識の内に貼ると思っています。
例えばベストセラー小説、テレビで見かける製品。
売れているから何か光るものがあるんだろうと考えるのが普通でしょう。
また自分も小耳にはさんだことがるという安心感も働くでしょう。
人は自分が知らないことに対して、
まず否定から入るように感じています。
まずは自分を守ることから始めると思っています。
自分が知らないから、よくないんだろう。不必要なんだろう。
未知の作家の本よりは著名人の本を選びがちになるでしょう。
知らない商品よりは、CMで馴染んでいる商品を選ぶでしょう。
例えばブログのランキングサイト。
加入したことのない人に限って、
否定的な意見を持っているように感じています。
これも知識を得る以前に、
レッテルを貼ってしまってるせいだといえるでしょう。
例えば10万円以上するパソコンと5万円以下のパソコン、
どこが違うのだろう?
5万円以下のパソコンは安物だからダメだ。
CMなどでも馴染がない、よく知らないメーカーだ。
レッテルを貼れば話はそれで終わるでしょう。
問いを立てれば考えることが可能になります。
PCの主たる構成要素、OSはマイクロソフト社。
CPUはインテルで作られています。
どのメーカーも基本的には同じ部品を使っています。
価格の違いはイメージ戦略のための広告費。
流通の違い。有名国産メーカーは量販店での販売。
コスト削減をメインにしているメーカーは取次店なしの受注生産。
また有名国産メーカーは全てのニーズに合わせられるよう
初心者向けにソフトが20くらいプレインストールされているでしょう。
ゲームを楽しみたい人、動画を編集したい人、絵を描きたい人、
テレビを見たい人、ブルーレイを見たい人、色々あると思います。
コスト削減を中心にしているメーカーでは、
ソフトは必要最低限、プレインストールされているだけでしょう。
後は用途に応じて自分でカスタマイズする必要があります。
価格の違いはメーカーの戦略。
初心者向けに安心感、ハイグレード感を売りにするのか、
中級者向けに実用面、コストパフォーマンス性を売りにするのか、
単純に狙っている層が違うだけだというのが私の結論です。
私の経験では不必要なソフトはアンインストール。
常駐ソフトも必要最低限。シンプルであればあるほど、
パソの持ちは良くなると思っています。
人だけでなく物にもタグやレッテルは無数に存在するでしょう。
考えるとは問いを立てるということ。
なぜ?どうして?疑問を発するいうこと。
教育で大切なことは、問いの立て方をしっかりと学ぶということ。
子供たちは人に対して、物に対してレッテルを貼ることなく、
正しい問いが立てられる人間に成長してほしいなと思います。
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