ハンドルネーム「○○ママ」とつける心の考察
HNに、「ママ」という意味の語を入れる方
素朴な疑問なのですが、「○○のママ」とか「○○ママ」とか
「私、母親です」っていう意味のHNの方がいらっしゃいますが、
これはどういう気持ちからつけるのでしょうか。
私は子供ができなくて長く、
不妊を知らない周囲の言葉にも慣れているつもりです。
ただ、不妊で悩んでいる方がたくさんいるジネコで
敢えてそういうHNを選ぶのは???なのです。
「私にだけ子供ができません。嫉妬してしまいます」とか、
「子供ができた人が羨ましくて泣けてしまう」といったスレが
よく立っていてご存知だと思うのですが。
別に責めているわけではありませんし、
お子さんがいて幸せなのはいいことだと思います。
ただ、レスの内容では大変気を遣っていらっしゃっている方が、
HNになると「私、子供がいます」というのを
ジネコで前面に出すのがちょっとわからないのです。
何か理由やポリシーがあるのでしょうか。
それとも私が気にし過ぎなのでしょうか。
皆さんのご意見をお聞かせ願えますか。
ちなみに、個人を攻撃したいわけではありませんので、
他の方の具体的なHNを出してのレスはご遠慮下さい。
私もコテハンに「ママ」とつけている一人です。
ポリシーだとか意味だとかを前面に出して
このコテハンにしてる訳では無いですね。
ただ事実を述べている、というだけで。
もしこのコテハンに違和感を感じられる方がいても、
変えるつもりは今のところありません。
HNを悪用とかされてる、というならまた話は別ですが…。
私も3年近く不妊ですが気にしたことはありません。
HNにママと入れていたからって本当にママかは本人しかわかりませんし。
ジネコは、毎回HNや年齢や職業を変えて投稿することができるしね。
HNは投稿する本人の勝手だし、そんなこといちいち気にしてられない。
あなたが気にしすぎです。
不妊と言う事で敏感になりすぎではないでしょうか?
ジネコは不妊の人が多いのはたしかだけど、
みんながみんな納得できる掲示板なんてないですよ。
職業「育児中」「○児のママ」とかもよく見かけるけど、
あなたにとってはそれもダメなのですか?
職業「主婦」だって、なかなか結婚できない人は気にいらないかもしれない。
いちいち気にしてられないよね。
私は不妊治療をしている赤ちゃん待ちの主婦です。
ジネコで○○ママとかのHNってそんなに多かったですか?
気がつきませんでした。全く気にならなかったので。
ジネコは不妊の人だけのサイトではないので、
○○ママって別に良いと思います。
私個人は全く気にならないしOKです。
あなたが気にしすぎです。~いちいち気にしてられないよね。
気がつきませんでした。全く気にならなかったので。
素朴な疑問だという但し書きがあるのにも関わらず
掲示板はブログと違って、相手への敬意が不足しがちな方もいる。
そのような印象を持ちました。
「○○ママ」問題提起のテーマとしては、普遍性もあり
考えてみたくなる疑問だと私は思いました。
それに対して、文章を読み込まず、ただ自分の感情だけをぶつける。
ブログ間交流においては、もっとも避けたいことですよね。
サイト『ジネコ』について
不妊・妊娠・出産・育児-女性の為の健康生活ガイド
各広場が掲示板になっているようです。
ステハン、コテハンについて。
ハンドルネームのこと。
捨てハンドル:一時的に使用する名前(使い捨て)
固定ハンドル:長期間使い続ける名前
単なるHNだと思います。
ペットに対してのママかもしれないし。
気にしすぎのような気がします。
不妊の人に対する配慮は必要だと思います。
私も不妊で5年間悩んでいました。
でもあまりにも腫れ物に触れるような対応をする必要はないと思います。
何にもしゃべれなくなるし、生活も出来なくなります。
私はママとはつけませんが、「育児中」とは書いています。
それは、私がどんな立場の人間かどうかを簡単に示すためです。
レスの内容によっては、書き出しに「○ヶ月の子がいます」など
説明文をつけるのと同じです。
ここはいろんな立場の方が参加する掲示板なので、
不妊の方に気を使う・子供がいる人が気を使うべきだとは思いません。
いろんな目線の意見が聞けるから楽しいんだと思うし、
「この人子供いるのかな?いないのかな?
どんな立場でこの発言なのかな?」と疑問に思う時など、
HNや職業欄で分かるといいなと個人的には思います。
HNにママと付けなくたって、
レスの内容や職業欄で「母親」かどうか分かるし、
ママと書く事で自慢(?)してるように見えるとしたら、
それは違うと思いますよ。子持ちであることを隠す必要もないですし。
それは違うと思います「よ」。コメント全てが
疑問を持たれた、たった1人の方への回答ように映ります。
この方にとっては、疑問とならないテーマなんでしょうか。
そのように推察しました。
スレ主です。
レスありがとうございました。
皆さん、気にされていないんですね。
私も気にしないように努力してみます。
ちなみに、私のスレで誤解があったようなのでちょっと補足説明致します。
職業欄は管理人さんが「普段どんな生活をしているかを
反映させた方が人間的でいい」と判断して欄を設けていると思うので
「子育て中」とか「育児中」とあっても違和感はありません。
また、スレの内容に合わせて、自分の状況を説明する場合に
「自分に子供がいる」ことや「母親である」
ということを書かれても全く気になりません。
ですから、全ての人に気を使って、
ある種の「言葉狩り」を提案しているつもりはありませんでした。
ただ、ステハンが多いにせよ、
掲示板では最初の自分の紹介で、不妊で悩んでいる人が特に多いジネコで
「母親」を前面に出されるのに違和感があったのです。
私の中では、「母親である自分」はあっても、
「私=母親」ではなかったので。でも特に意味はなかったんですね。
「じゃぁ、どうしろと?」というご質問がありましたが、
どうにかしてほしいというわけではありません。
ただ、どんなお気持ちで書いていらっしゃるのか知りたかっただけです。
みなさんのご意見、大変参考になりました。
一度気になったものを気にしなくするのには時間がかかるかもしれませんが、
なんとか気にしないように頑張ってみます。ありがとうございました。
〆後にスミマセン。
私はHNに「〜〜ママ」とする人の気持ちが分かるような気がするので
つい書きたくて出てきました。
ずばり、何も考えていない、
だと思います。
〜〜ママだとか〜〜くんのママとかって自分を名乗る方は、
潜在意識の中でもしかしたら優越感やらなにやらあるかもしれませんが、
意識しては何も考えていないと思います。
以前、私は仕事で日々膨大な量の一般の方のペンネームを見てきました。
その中で勝手に分析したことは・・・
※〜〜ママの「〜〜」の部分には
男の子の(と思われる)名前がくるケースが圧倒的に多い。
※兼業主婦は〜〜ママとは名乗らない
(つまり〜〜ママと名乗る人にとって、
ママが身分というか自分のアイデンティティになっている。
逆にキャリアウーマン兼ママの方などは
〜〜ママと呼ばれることに嫌悪感を抱いていることも。
「一緒にしないで!」みたいなことかなと思います。)
※戦争のことや環境破壊について
「悲しい」「絶対にあってはならない」などの情に訴える
コメントをしてくる人のペンネームは、かなりの確率で〜〜くんママ。
などなど。
偏見もあるかもしれませんが、私はこのような印象を持っています。
以上でーす。〆後に失礼しました!
「○○○○ママ」と名のってます。
○○○○はペットの名前です。
そちらでは、HNは登録制になっていて、
「ママ」無しはすでに使われていたので、
深く考えずに「ママ」を付け足して、登録しました。
私も治療中で、子供はいません。
ある不妊症の方が集まるサイトの掲示板でのHNは、
「○○ママ」と名のるのは控えてくださいと、
管理人さんからの注意書きがありました。
気にする人がいるんだぁ〜とその時は思いました。
でもジネコは、不妊で悩んでる方だけではないので、
気にしてもしょうがないと思います。
「気にする人がいるんだぁ〜とその時は思いました。」
全体を見渡した時、(全体を統括するために)
管理者なら当然持つべき配慮だと私は感じました。
1つ1つのコメント、それを極論だと決めつけてはいけません。
その裏側に潜む沢山の方の想いも、
含まれていることを認識しなければなりません。
多くの同調、共感される方がいることを知らなければなりません。
ジネコは確かに不妊の方がたくさんいらっしゃいますが、
不妊を乗り越えてママになったという方もいると思いますよ。
○○ママというHNだからといって、
自慢してるの?とか思わないでほしいな〜と思います。
みなさん、仲良く和気藹々とジネコを楽しみましょー♪
「自慢してるの?とか思わないでほしいな〜と思います。」
潜在意識の中の優越感。無意識の差別。
またまたスレ主です。
反映の時差や締め後のレスを頂いたのでまた出てきてしまいました。
匿名さんの、
>※兼業主婦は〜〜ママとは名乗らない
(つまり〜〜ママと名乗る人にとって、
ママが身分というか自分のアイデンティティになっている。〜〜〜)
という文に納得しました。私も兼業主婦です。
また、日頃から「○○さんの奥さん」と呼ばれるよりも、
「○○さん」と呼ばれたいと思っているので
「○○ママ」をHNにする方々は「敢えて」
そのHNを選んでいるのだと思っていました。
初めから考え方に温度差があったんですね。
蛇足になりますが、私の母も「○○のお母さん」や「○○の奥さん」
と呼ばれるよりも1人の独立した人間として見てほしいと常々言っていたので、
わたしは彼女から影響を受けているのかもしれません。
またまた、勉強になりました。ありがとうございました。
〆後の匿名さん
私もそのこととても感じていました。
なんで、戦争、環境問題の事で、
男の子のママHNの投稿が多いのでしょうね??
今までその人たちが子供を産むまでは
そういう問題に無頓着で、(自分の事に懸命で)男の子を授かって、
女の子より将来一生働かないとならない我が子に良い環境あたえないと。
という思いからなのででしょうか?
まあ、子供を産むだけでは幸せにはなれないと思います。
自分自身の思い込みも多々必要なんじゃないでしょうか?
ママ→ママだと自分に言い聞かせている人もいると思います。
オムツが外れない時期は毎日お尻に
ついたうんち拭かなくちゃならないし。
大きくなったらなったで、反抗するし口答えするし。
ママってHNに書く気になるのはせいぜい長くても小学低学年迄じゃないかと。
わたしには子供はいませんが、かえっていない方が、
子供づきあいでもないし、無難に見えるらくして、
いろいろな年代の女性と腹を割って話してもらえてリサーチの結果ですが。
匿名さん、鋭いですね!
私はHNや職業は適当に、という感じで参加していますから、
意識したことはほとんどなかったのですが。
言われてみれば、その通りかも、と関心してしまいました。
私的には、「ママ」というのは幼児語であって、対子供には使えても、
大人同士の普通の人間関係においては、
あり得ない言葉だという意識がありますね。
だから、○○ママなんて書いていると、
幼稚な人だな〜、ぐらいに思っていましたけれど。
私は二人の子供がいますが、
「〜ママ」というHNにはやはり違和感を感じてました。
不妊の方が多い掲示板ってわかってるのになぜあえてそのHN???と。
でも皆さんの答えを見ても考え方って人それぞれですよね。
私は気になるけど、気にならない人にとっては
「そんな事気にする人が気にしすぎなんだ」と感じるのでしょうし。
「〜ママ」という言葉、気になる方がいる。
それをを認識することが、大事なことだと思います。
それを私は「知識」と定義つけたい気持ちがあります。
自分と違った思想を否定すれば、
そこから得るものは何もないでしょう。
学ぶ姿勢が大切なんだと私は思います。
色々ご意見ありますね。
私はコテハンでママをつけています。
ペットの名前にママをつけました。
今まで、それぞれにHNを分けてきましたが、
HPでのHN、昔から参加しているML、グループなどでいくつにもになり、
メインのHPでつけたこのHNからジャンル問わず
登録するHNは、このHN一本です。
我が家のペットが来た数日後に流産し、今も子どもはいませんが
私の一部としてのHNになっています。
いつかママとなる日を今も願っている一人です。
匿名さんの洞察、とても興味深く読みました。
戦争反対、についてですが男の子の母親が多いのは納得が行きます。
男の子は将来兵隊になる可能性が多いからじゃないでしょうか。
私たちには男の子を授かりました。
元軍人の夫にとっては国籍などを考える際に
男の子だったら兵役があるかどうか、
戦争をしやすそうな国かどうかなどとても気になることです。
女の子が戦争に行く可能性もありますが、
男の子よりはずっと低いのではないでしょうか。
子持ち家庭は、独身・子なし家庭を憐れむ話
上記は以前、私が作成した記事です。私は男ですが、
結婚、出産を通じて多くの友人たちと疎遠になりました。
「ママ」という言葉の影響力、感じたことがあります。
参考までに、私は誰かをOOくんのパパ、ママと
呼んだこともなければ、呼ばれたこともありません。
家でも、山の神さまからは「ちょっと」と呼ばれ、
子供たちからは名前を呼び捨てにされています orz
私はブログをするに当たって、既婚、独身、子供の有無に関係なく、
幅広い方とお付き合いしたいと考えました。
「OOパパ」というハンドルネームをつけたら
その範囲が狭まると考えていました。
プロフィールは単なる説明にすぎませんが、
HNはアイデンティティに由来するものも
多々あると感じています。
○○ママとついてる時点で「子育てカテゴリー」限定。
独身、子供なし夫婦とは疎遠になってしまうのでしょうね。
「※〜〜ママの「〜〜」の部分には
男の子の(と思われる)名前がくるケースが圧倒的に多い。」
個人的にはこれがもっとも興味深かったです。
異性である息子を、一人前の男性に育てあげたい。
無意識の所有欲が働くのかなって思いました。
文献を当たって調べてみたい気もします。
先日、私は雑誌「サライ」のバックナンバーを読み耽っていました。
双六絵特集の話で面白い内容を見つけましたので引用します。
明治時代の中頃から、
双六は少年少女雑誌の正月号付録の中心的存在になっていく。
なかでも時代の風を感じさせるのは、
女性の人生の模範をと説いた女双六である。
忍従の生活に生きて「奥様」が上がり。
女医や訪問記者、看護婦などの職業婦人を尻目に、
どんな双六でも奥様がゴールになる。ときには妾の文字も見え、
そこに入ると振り出しにもどったり堂々巡りをしたりと、
もがかなければならない。婦女子の正しい道は結婚。
双六を通して、少女達はこの女性観をたたき込まれていた。
長い年月をかけて培われてきたであろう日本人としての価値観、
時代が変わっても、根底に流れている価値観まで
すぐに変わることはないですよね。
何か1つでもお感じになることがありましたら幸いです☆

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