私が漫画を卒業した理由(making編)
マンガは日本が世界に誇れる一大文化産業だと思っています。
私は外国人に日本のどのマンガが面白いのか?
教わった経験もあります。
近年、マンガを読まない人は皆無に近いんじゃないでしょうか。
私の父はマンガに全く理解を示さない人でした。
昔は結構いたように思います。
私の父はそれに更に輪をかけていました。
時代小説やミステリーなど、大衆文学にも無関心でした。
私が池波正太郎など読んでいると、
「また、つまらんもの読んでるなぁ~」
ボソっとつぶやいて去って行くような人でした。
父が定年退職して、家でブラブラしている時、
私は一計を案じました。
父に意地でもマンガを読ませてみせる!!
実家へ行くたびにわざとマンガを忘れて帰りました。

「酒のほそ道」ラズゥエル細木 「玄人のひとりごと」中島徹
コツコツ忘れてきた甲斐がありました。
父の枕もとの本棚に、コミック全巻キレイに並んでいます(笑)
私のマンガ歴。
3才の娘が誕生後、マンガ雑誌を読まなくなりました。
それ以前は昼食休憩時、週に2度ほど、
マンガ雑誌が置いてある食堂へ通って、
全誌、それなりに目を通していました。
家に幼い子供がいると好きな読書ができません。
家で読めない本を昼食休憩時に読む。
結果的にマンガ雑誌がはじき出された形です。
(今は読書がブログにはじき出されていますw)
近年は新しい流行に全くついていけてない状態です。
それでも読んできたマンガの量からいえば、
オタクの人とも渡り合えるんじゃないかと思っています。
実家の押入れなどに、何千冊単位でマンガが眠っています。
マンガを読むって贅沢な趣味なんですよね。
50冊購入しても1日あれば読了される方もいるでしょう。
お金がいくらあっても足りません。
図書館に置いてあればいいのですが…
マンガとの係わり合いについて。
マンガは人生において、いずれは卒業する
(読む量が減る)媒体じゃないかと思っています。
映画とその原作小説、どちらが面白かったかと質問すると、
原作の方がよかったという回答をよく耳にします。
映画は瞬間的な情報量が圧倒的にあります。
イメージが鮮明に残ります。
その分、想像する余地は乏しくなるでしょう。
その点、小説は1つの単語や文節から
想像を膨らませて夢を見ることが可能です。
人によっては行間から立ち昇る作者の情感のようなものまで
読み取られる方もいるでしょう。
どちらが楽しい遊びかといえば、後者だと思います。
マンガも同様です。絵が空想の邪魔をするでしょう。
マンガは読まないよりは読んだ方がいいですが、
想像力は小説ほど育めないと思っています。
好奇心の面からマンガについて考えてみます。
少年誌と青年誌の違いについて。
青年誌のキャラは最初から「立ってる」必要があるそうです。
最初に物語の展望を提示、キャラクターの魅力を存分に出し、
読者を引っ張れないと、後がありません。
少年誌の場合、その辺りが不透明でも
子供はついてきてくれるそうです。
大人になるにつれ、取捨選択の決断が早くなり、
また好奇心も欠落していくのでしょう。
人間は常に「人間とは?」「生きるとは?」について考えています。
人間がもっとも関心の高いことは、人間についてだと言えるでしょう。
マンガ家という職業について。
知識をものすごく必要とするでしょう。
読書家の方が多いと思っています。
読者が知識を得るにはマンガは最適でしょう。
マンガを描く。これは内面を見つめる行為。
外で何かを体験する行為とは真逆になるでしょう。
人生の様々な経験と引き換えに画力を得たと思えます。
人は誰もが1つくらいは訴える力を持ったテーマを持っているものです。
最高傑作がデビュー作で終わってしまう漫画家が多いのも頷けます。
マンガ家の関心事は絵を描くことに何割かは振り分けられるでしょう。
残りの何割かで、「人間とは何か?」考えることになるでしょう。
これはSF作家やミステリー作家にもいえることでしょう。
SFの世界観を構築したり、ミステリーのプロットを考えたり、
約束事を守ることにかなりの精力を費やします。
SF作家の場合は、元々、非現実的なことに興味があったのでしょう。
人間についての飽くなき探求者ではなかったでしょう。
マンガ家同様、関心事が人間について以外のことに、
多大に振り分けられることになります。
人間がもっとも関心のあるのは「人間について」です。
より深い考察をされている作家に、
読者がいずれは流れていく。それは自然だと思います。
SF作家やミステリー作家の中にも、その辺りに限界を感じたり、
人間について突き詰めて考えたくなった作家は、
その枠を取り払っているように思います。
人間の心の奥底にあるひずみ、怨念のような感情、
それは日常生活では垣間見ることはできませんよね。
極限状態だからこそ現れる感情、あると思います。
ある特定のシチュエーションを利用して、
人間の心をあぶりだそうとする作家もいますよね。
マンガという媒体は、
その思考の入り口付近での楽しみなのかなって気がします。
興味深いシチュエーションを楽しむ
エンターティメントではないでしょうか。
商業的見地からみたマンガについて。
コミックス化されて書店に並ぶようなマンガは
連載マンガが大半を占めるでしょう。
ある有名少年漫画雑誌では、
10週連載して人気がなければ打ち切り。
商業的成功がまず始めにありき。
いつまで続くか不安を抱えたままの連載、
その中で長期連載できたとしても、
ほとんどのマンガがどこか破綻しているように感じます。
勢いと惰性で読ませているんじゃないかと感じることもあります。
完成度の高いマンガは生まれにくいですよね。
好奇心について、もう少し詳しく。
人間は日常生活を送りながらあらゆる方向へ、
知識欲という飢えを満たすかのように
好奇心というアンテナを張り巡らせています。
そこへ何かが引っかかった時、
広く浅かった好奇心が、狭く深い好奇心に変わります。
それは向上心とも密接に関わっています。
とっても大切な心の動きだと思います。
マンガという娯楽は状況を楽しむエンターティメント。
問題提起を楽しむ娯楽だと思っています。
何かを感じるとっかかりには最適です。
ただし、そこから先へ足を踏み出したくなった時、
物足りなく感じるのは否めないのかな。
そう思っています。
私は現代に生きる人間として、
最新のマンガや書物を読みたいと思います。
その一方、それは時間のムダではないかという気持ちもあります。
テーマは似たりよったりでしょう。
よほど前衛的な作品でない限り、食指が伸びません。
戦時中の小学校高学年の作文集を読んだことがあります。
文章の格調の高さに驚かされました。
現代の成人の方が書かれた文章だと言っても信じたでしょう。
レベルの高さに色々考えさせられました。
小説も一昔前の書物の方が格調高い文章に出会えます。
作家、読者ともにレベルが下がってきているのでしょう。
昔の人の方が、より生きるのに懸命だったのでしょう。
昔の人の方が、より大人だったのでしょう。
世界には一生かかっても読みきれないほどの古典が存在します。
私は若い時、あれほど反発を憶えた父に段々似てきています。
娘が年頃になって、大衆文学でも読んでいたりすると、
ぼそっと一言「つまんないものを読んでるなぁ~」
そんなクソ親父になってみるのも悪くないのかなぁ~。
そんな感慨に浸っています。
人生とは巡り巡っていくものなんですよね。
おちまい ((^┰^))ゞ キシシっ
PS. 今回のタイトル、making編について。
記事を作成して放り出したという意味です(爆)
本来ならここから、記事を推敲していくのですが、
あまりに不出来。やる気を失いました orz
私がマンガを読まないのは単に読む環境にいないだけです(笑)
「卒業」というタイトルが無謀過ぎて、
論理が組み立てられませんでした(笑)
最後のオチだけ思いついて記事を作ると、こうなるんですね(泣)
私は外国人に日本のどのマンガが面白いのか?
教わった経験もあります。
近年、マンガを読まない人は皆無に近いんじゃないでしょうか。
私の父はマンガに全く理解を示さない人でした。
昔は結構いたように思います。
私の父はそれに更に輪をかけていました。
時代小説やミステリーなど、大衆文学にも無関心でした。
私が池波正太郎など読んでいると、
「また、つまらんもの読んでるなぁ~」
ボソっとつぶやいて去って行くような人でした。
父が定年退職して、家でブラブラしている時、
私は一計を案じました。
父に意地でもマンガを読ませてみせる!!
実家へ行くたびにわざとマンガを忘れて帰りました。


「酒のほそ道」ラズゥエル細木 「玄人のひとりごと」中島徹
コツコツ忘れてきた甲斐がありました。
父の枕もとの本棚に、コミック全巻キレイに並んでいます(笑)
私のマンガ歴。
3才の娘が誕生後、マンガ雑誌を読まなくなりました。
それ以前は昼食休憩時、週に2度ほど、
マンガ雑誌が置いてある食堂へ通って、
全誌、それなりに目を通していました。
家に幼い子供がいると好きな読書ができません。
家で読めない本を昼食休憩時に読む。
結果的にマンガ雑誌がはじき出された形です。
(今は読書がブログにはじき出されていますw)
近年は新しい流行に全くついていけてない状態です。
それでも読んできたマンガの量からいえば、
オタクの人とも渡り合えるんじゃないかと思っています。
実家の押入れなどに、何千冊単位でマンガが眠っています。
マンガを読むって贅沢な趣味なんですよね。
50冊購入しても1日あれば読了される方もいるでしょう。
お金がいくらあっても足りません。
図書館に置いてあればいいのですが…
マンガとの係わり合いについて。
マンガは人生において、いずれは卒業する
(読む量が減る)媒体じゃないかと思っています。
映画とその原作小説、どちらが面白かったかと質問すると、
原作の方がよかったという回答をよく耳にします。
映画は瞬間的な情報量が圧倒的にあります。
イメージが鮮明に残ります。
その分、想像する余地は乏しくなるでしょう。
その点、小説は1つの単語や文節から
想像を膨らませて夢を見ることが可能です。
人によっては行間から立ち昇る作者の情感のようなものまで
読み取られる方もいるでしょう。
どちらが楽しい遊びかといえば、後者だと思います。
マンガも同様です。絵が空想の邪魔をするでしょう。
マンガは読まないよりは読んだ方がいいですが、
想像力は小説ほど育めないと思っています。
好奇心の面からマンガについて考えてみます。
少年誌と青年誌の違いについて。
青年誌のキャラは最初から「立ってる」必要があるそうです。
最初に物語の展望を提示、キャラクターの魅力を存分に出し、
読者を引っ張れないと、後がありません。
少年誌の場合、その辺りが不透明でも
子供はついてきてくれるそうです。
大人になるにつれ、取捨選択の決断が早くなり、
また好奇心も欠落していくのでしょう。
人間は常に「人間とは?」「生きるとは?」について考えています。
人間がもっとも関心の高いことは、人間についてだと言えるでしょう。
マンガ家という職業について。
知識をものすごく必要とするでしょう。
読書家の方が多いと思っています。
読者が知識を得るにはマンガは最適でしょう。
マンガを描く。これは内面を見つめる行為。
外で何かを体験する行為とは真逆になるでしょう。
人生の様々な経験と引き換えに画力を得たと思えます。
人は誰もが1つくらいは訴える力を持ったテーマを持っているものです。
最高傑作がデビュー作で終わってしまう漫画家が多いのも頷けます。
マンガ家の関心事は絵を描くことに何割かは振り分けられるでしょう。
残りの何割かで、「人間とは何か?」考えることになるでしょう。
これはSF作家やミステリー作家にもいえることでしょう。
SFの世界観を構築したり、ミステリーのプロットを考えたり、
約束事を守ることにかなりの精力を費やします。
SF作家の場合は、元々、非現実的なことに興味があったのでしょう。
人間についての飽くなき探求者ではなかったでしょう。
マンガ家同様、関心事が人間について以外のことに、
多大に振り分けられることになります。
人間がもっとも関心のあるのは「人間について」です。
より深い考察をされている作家に、
読者がいずれは流れていく。それは自然だと思います。
SF作家やミステリー作家の中にも、その辺りに限界を感じたり、
人間について突き詰めて考えたくなった作家は、
その枠を取り払っているように思います。
人間の心の奥底にあるひずみ、怨念のような感情、
それは日常生活では垣間見ることはできませんよね。
極限状態だからこそ現れる感情、あると思います。
ある特定のシチュエーションを利用して、
人間の心をあぶりだそうとする作家もいますよね。
マンガという媒体は、
その思考の入り口付近での楽しみなのかなって気がします。
興味深いシチュエーションを楽しむ
エンターティメントではないでしょうか。
商業的見地からみたマンガについて。
コミックス化されて書店に並ぶようなマンガは
連載マンガが大半を占めるでしょう。
ある有名少年漫画雑誌では、
10週連載して人気がなければ打ち切り。
商業的成功がまず始めにありき。
いつまで続くか不安を抱えたままの連載、
その中で長期連載できたとしても、
ほとんどのマンガがどこか破綻しているように感じます。
勢いと惰性で読ませているんじゃないかと感じることもあります。
完成度の高いマンガは生まれにくいですよね。
好奇心について、もう少し詳しく。
人間は日常生活を送りながらあらゆる方向へ、
知識欲という飢えを満たすかのように
好奇心というアンテナを張り巡らせています。
そこへ何かが引っかかった時、
広く浅かった好奇心が、狭く深い好奇心に変わります。
それは向上心とも密接に関わっています。
とっても大切な心の動きだと思います。
マンガという娯楽は状況を楽しむエンターティメント。
問題提起を楽しむ娯楽だと思っています。
何かを感じるとっかかりには最適です。
ただし、そこから先へ足を踏み出したくなった時、
物足りなく感じるのは否めないのかな。
そう思っています。
私は現代に生きる人間として、
最新のマンガや書物を読みたいと思います。
その一方、それは時間のムダではないかという気持ちもあります。
テーマは似たりよったりでしょう。
よほど前衛的な作品でない限り、食指が伸びません。
戦時中の小学校高学年の作文集を読んだことがあります。
文章の格調の高さに驚かされました。
現代の成人の方が書かれた文章だと言っても信じたでしょう。
レベルの高さに色々考えさせられました。
小説も一昔前の書物の方が格調高い文章に出会えます。
作家、読者ともにレベルが下がってきているのでしょう。
昔の人の方が、より生きるのに懸命だったのでしょう。
昔の人の方が、より大人だったのでしょう。
世界には一生かかっても読みきれないほどの古典が存在します。
私は若い時、あれほど反発を憶えた父に段々似てきています。
娘が年頃になって、大衆文学でも読んでいたりすると、
ぼそっと一言「つまんないものを読んでるなぁ~」
そんなクソ親父になってみるのも悪くないのかなぁ~。
そんな感慨に浸っています。
人生とは巡り巡っていくものなんですよね。
おちまい ((^┰^))ゞ キシシっ
第1519回FC2公式トラックバックテーマ
「漫画は読みますか?」
PS. 今回のタイトル、making編について。
記事を作成して放り出したという意味です(爆)
本来ならここから、記事を推敲していくのですが、
あまりに不出来。やる気を失いました orz
私がマンガを読まないのは単に読む環境にいないだけです(笑)
「卒業」というタイトルが無謀過ぎて、
論理が組み立てられませんでした(笑)
最後のオチだけ思いついて記事を作ると、こうなるんですね(泣)
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