コメントから学ぶ支配欲・征服欲と傷付かないための心得
コメントするって難しいんです。
先日、久しぶりにある方のブログにお邪魔したんです。
残念ながら休止されていたんですけど
そこで僕はショッキングな記事を目にしてしまいまして
少々凹んでいる次第なんです。
その記事にはコメントについての
その人の考え方が記載されていたんですね。
で、真摯な気持ちでコメントしてくれるならすごくありがたいけど
上っ面だけのコメントや馴れ合いのコメントはいらない等
書いてあったんですね。
ウザいコメントも必要ない、と。
僕のコメントは超ウザかったらしく、イニシャル指名されてたんですね。
正直、そう思われていた、という現実はポイズンダメージのように
ジワジワと体力を削ってくるわけです。
コメントの是非、考え方については、ブロガーさんそれぞれでしょう。
僕にとっては、コメントは「やる気バロメーター」なんですね。
たまに殺る気バロメーターに変わるコメントもあったりしますけど。
でも自分の記事に対して
反応が欲しいと思うのは僕だけではないはずです。
その数が多ければ多いほど、殺る気やる気は増すというものです。
みなさん興味ないと思うんですけど
僕のコメントに対する姿勢としては
相手の記事に共感、もしくはコメントできる題材に限り
真摯な気持ちで行なう
自分の記事に対してのコメントには必ず返信する
ということが原則なんですね。
まぁ、「例外」っていうのはここでもあり得るんですけど。
なので、コメントするにも時間がかかってしまいますし
全力でコメントを考えるので、そんなに多くのブロガーさんに
コメントを残せません。
しかも、どうしても真面目にコメントすることが苦手なのか
オチをつけたがる悪い癖がありまして
そこらへんが気にいらない、ウザい、と思う方もいると思うんです。
でも、それなら僕の記事にコメント返しする必要もありませんし
メッセージ等のツールを使用して
「ウザいんですけど。」って僕に伝えてくれればいいんです。
僕はストーカーや荒らしじゃないんで、言われれば止めますよ。
そりゃね、付き合いが長くなれば
少々馴れ合い的なコメントになってしまうことも
ないこともないんです。
でもそれは相手の方も理解していると判断しての行動なわけで
時と場合によって使い分ける分別は持っていると思ってるんです。
そもそも、そんな上っ面や馴れ合いのコメントに対して
嫌なのに
上っ面や馴れ合いの返信コメントするのもどうかと思うんですね。
さらに僕のウザいコメントに我慢して
ウザかった
と遺書のように過去形で語られるのは
僕のほうが我慢できないんですね。
お互い我慢は良くありません。
妻は言わないで我慢することを大変嫌う性格なんです。
思ったことを全て僕にぶつけてくるんですね。
ダルビッシュも真っ青な投球ですよ。
もう、キャッチャーミットしてても
手が腫れるって話なんです。
そんな環境に生きている僕には
ストレートな意見が響くわけなんです。
だからといって、変化球が嫌いなわけでもない。
できれば率直な意見を言ってもらったほうが
お互い無駄な時間を使わずに済むんじゃないか、と。
僕としてはコメントでコミュニケーションが取れたら
それはそれで楽しいでしょう、と。
リアルでも
上っ面や馴れ合いで会話は半分以上成立してるじゃないですか。
真摯に話し合ってくれるのは
世間一般なら家族や彼・彼女でしょう
僕なら壁なわけです。
そう思えば、たいていのコメントに寛容になれるんですね。
排除対象を増やしても自分の世界を狭めるだけなんです。
井の中の蛙になりかねない。
むしろ、記録だけするならブログをする必要はなく
アナログで保存すれば事足りるわけですね。
いつ何時削除されるか分からない
危険性を孕んだ無料ブログを使用するくらいなら
ノートに手描きしてたほうが
よっぽど自己の財産を管理できると思うんです。
でも、コメントって欲しいと思うわけですね。
嫌味なヤツや荒らし的なヤツ以外。
つまり、友好的なコメントってヤツですね。
内容は批判でも僕のことを思ってのコメントとか。
その中でコメントというひとつの機能を
ブログを楽しくする、という自己意識の元
利用したらいいんじゃね?
というのが僕の今の考えなんですね。
まぁ、なんだかんだ言って
コメントって難しいんです。
パパとむすめの処方箋。
管理者:NARUさん
NARUさんは現在、アメブロで育児をメインに
ブログ運営作成されていますが
以前はライブドアで超人気ブログ
「キーワードチョイス2」を運営されていました。
(FC2でブログをされている時は私のプロともさんでした)
複数のワードを取り上げ、めくるめくような話の展開。
どこに主題が隠されているのか?NARUさんの本心はどこにあるのか?
底が二重にも三重にもなっている
とっても懐の深い記事を作成されるブロガーさんです。
ここから本題に入らせて頂きます。
私の場合、コメント&返信コメント、
どちらも記事を作る時の何倍も時間を要します。
私はエントリーを作成するだけでしたら、
日に3つ4つ、記事の更新は可能です。
当ブログに5つ以上コメントが入れば確実に私は沈没しています。
言葉の裏にある累々とした想いを汲みとることに
時間を要するからです。
私の場合、最初に頂いたコメントを拝見、何かを直感します。
それを1晩寝かせるとまた違った側面が見えてきます。
その2つを融和させて返信を打つようしています。
(新着記事をUPした当日に頂戴したコメントに対して)
またその際、それぞれ言葉の重みに違いはありますが
5行のコメントには5行以上の返信コメント、
10行のコメントには10行以上の返信コメント、
その辺りのバランスにはかなり気を使っています。
返信コメントの量、少なすぎても、
多すぎても不可だと思っています。
基本的には24時間をメドに返信しようと思っています。
次の新着記事をUPする前には、返コメ完了したいと思っています。
確かに記事を読み込まずに、上辺だけのコメント、
挨拶コメントを残されて行かれる方もいると思います。
この方式も理解できます。
誰だって一番可愛いのは自分自身なんですから。
訪問したことをお知らせするコメント、
応援完了コメントなど色々種類があると思います。
当ブログには不思議なことに挨拶系のコメントは入りません。
私が挨拶系のコメントをしないからでしょうか…
仮に上辺だけのコメントが入ったとすれば、
私は自分の記事に読み込むだけの魅力がなかったのだという
判断材料にすると思います。
ブログ記事と関係ない内容のコメントについて
2通りのパターンに類別されると考えられます。
①深く読み込んで、そこから連想する話を展開される。
②読まずに適当に雑談や自分のことをかいて終わり。
(NARUさんから過去に頂いたコメントは
全て前者のコメントでした)
言葉って難しいですよね。
書き手が込めた想い。
読み手が汲みとる想い。
それぞれ異なりますよね。
日々の生活や社会生活において
人間関係の中で様々な力関係が生じます。
屈することを学びます。
私は自身のブログにおいても他者のブログにおいても
記事本文よりもコメント欄に惹き付けられていることが多いです。
私は男ですので男性ブロガーのコメントや返コメに、
特に注視していることが多いです。
私が注視するのは男性の支配欲、征服欲についてです。
誰かに意見をする。論をぶつける。感想を述べる。
これら全て支配欲の一種だと思っています。
女性の場合は、表面的には支配されても構わないという体裁を
簡単に取れると思っていますので考察はあまりしません。
私は私生活において、支配される。
議論に負けることを心がけています。
これは意見をする行為は深い信頼関係がないと成り立たない。
この考えに基づくものです。
議論に勝ったところで得るのは反感だけだと思っています。
届かない意見を述べたところで反感を買うのが関の山でしょう。
反感を買うくらいなら、議論に負けるくらいなんてことありません。
ブログ運営上では、この支配欲について、
征服欲について、敏感に留意しています。
コメントをする場合に置いても、微妙な出し入れをして
どのような反応が返ってくるのか、考察したことがあります。
コメントを貰った場合、
相手の支配欲を満たしてあげる返コメをすれば、
次のコメントも貰えるでしょう。
満たさなければ、次のコメントは貰えないでしょう。
私はこの微妙な線を実験的に楽しんだことがあります。
先日、私のプロともさんのブログに
プロともさんの想いを否定するコメントが入りました。
私にはそれは人格を否定するような意見に思えました。
プロともさんは『脳天気なことを言ってすみませんでした』と、
自分の記事、自分自身を否定してあやまりました。
私は涙がこぼれそうな程、素晴らしい大人の対応だと思いました。
コメントされた方の意見はプロともさんを傷つけただけで
受け入れてもらえなかったでしょうが、
支配欲をみたされ満足してお帰りになったと思います。
私はブログ訪問をしている時、
コメントの跡を辿って次のブログへ訪問する時が多々あります。
私が好むのは長文コメント、また2行程度の短文コメント、
この2パターンの跡を好んで辿ります。
コメントはエールだと思っています。
見返りを求めない応援だと思っています。
長文エールを贈られた方はどんな方なんだろう?
また色んなところで短いコメントばかり残されるのに、
自分のブログエントリーはしっかりとした長文。
これは何を意味するのだろう?
色々考えたりしながらブログ訪問を楽しんでいます。
ネット上の「荒らし」について。
♪ねこ♪さんが素晴らしい記事を作成されています。
よろしかったら参照お願いします☆
ちなみに私も荒らし行為とみなされても仕方のないような
長文コメントを投稿させて頂いています(爆)
(♪ねこ♪さんだからOKなのね~☆)
♪ウサコさんと私〜虹色ハッピーライフ♪
管理者:♪ねこ♪さん
ネット上での嫌がらせ「荒らし」について思うこと。
♪ねこ♪さんの記事でもコメントさせて頂いたのですが、
仏教の話でこんなのがあります(出典忘れました)
お客さんが贈り物を持って遊びにきます。
贈り物を受け取らなければ、贈り主は贈り物を持って帰って
自分で処理するしかありません。
またお客さんが遊びに来た時、茶菓子などを出しますが、
食べなければ、出した側が食べるしかありません。
人間の行為は相手が受け取らなければ全て自分に帰ってきます。
「バカ、アホ、お前の母ちゃん出べそ!!」
上記の言葉をご覧になられても特に何も感じないと思います。
ただし、自分が懇切丁寧に作成した記事、
涙を流し痛みを伴いながら作成した記事、
そのコメント欄で遭遇すれば話は違ってくるでしょう。
言葉自体には言霊は存在しないと思っています。
読み手の心の中に存在するのだと思っています。
言葉自体が人を傷つけることはないと思っています。
受け手自身が心を傷つけるのだと思っています。
結局、自らを傷つける事ができるのは、自分自身だけだと思います。
それは己の価値観に基づき、
自らの加える解釈と評価を体験しているのであって、
自身の外部で起こっている事とは、何ら関係がない。
私はそう思っています。
私はこの事を理解してから、仮に傷ついたとしても
どうして自分は傷ついたのだろうと内省することによって
傷ついた心の要因を昇華させ、癒せるようになっています。
言葉、ましてやブログのコメント欄では
ダメージを食らうほど傷つくことはないと確信しています。
コメントは貰う側にとってはボーナス。
コメントする側にとっては裏話(本音)を伺えるチャンス。
今後もコメント欄で楽しみたいなって思っています。
見返りを求めないエールの交換を楽しみたいなって思っています。