忘れてはならないもの
偶感(トラックバックテーマ) > 家族愛・恋愛編 - 2014年08月10日 (日)
太平洋戦争において知覧の特攻基地から出撃した戦闘機は、
まず開聞岳へと進路をとりました。
富士山にも似たその山容に故郷や家族への別れを告げつつ、
南方へと向かったと言われています。
どうして人は読み書きの勉強をするのでしょう?
それは歴史を学ぶためです。
自分がどこから来て、どこへ行くのか知るためです。
自分自身のルーツはどこにあるのか知るためです。
私は知覧特攻平和会館へ足を運んで、
初めて自分のアイデンティティを持つことができました。
日本に生まれてきてよかったと感じることができました。
誇りを持つことができました。
「歴史は勝者によって書かれる」と言われています。
子供たちは沢山の歴史書を読んでもらいたいと思っています。
自分のアイデンティティを見つけてほしいと思っています。
日本人としての誇りを持ってもらいたいと思っています。
そして自分はどういう人間なんだといういことを、
語れる人間に育ってほしいと思っています。
知覧特攻平和会館へは今後も何度も足を運ぶつもりです。
(当エントリーは2012/8/15初投稿 拍手欄リニューアル)
当記事コメントより引用(ありがとうございます)
こんにちは
今日は終戦記念日ですね。
私の祖父も、あとひと月頑張ってくれていたら、
もしかしたら会うことができたかもしれないと、
思うことがあります。
特攻関係の手記や書籍を読むと、
本当に心が痛みます。
まだ一度も訪れたことがないのですが
知覧特攻平和会館、一度足を運んでみたいです。
こちらの動画を見て、さらに日本が好きになりました。
もっと誇りを持って良いと思います。
そのためには、ちゃんと歴史を学ぶこと。
幸い、戦後の呪縛から解かれた様々な書籍を、
手にすることができます。
願わくは政治家が、ちゃんと歴史を知って欲しい…。
と、ネットカフェで泣きながら
この動画を見ていたわけですが…
なんだか恥ずかしいっ><
日常のるいるい×放課後電脳倶楽部
管理者:高月美舞さん
こんばんは お酒さん
私達若造が、コメントしていいのか分らないですが・・・
特別攻撃隊の特別攻撃って、本当に特別すぎると思ってます
亡くなられた方々も、その関係者の方々も辛い思いをしてきたでしょう
この時期、参拝するだけで他国の人たちが色々と言ってますが、
何が良くて、何が悪いのか、何をして来たのか、何故って事を
知らないといけないと思いますね
またね
食いしん坊サッチィのはらぺこ日記
管理者:サッチィさん&ひーちゃん
戦争経験者は戦争映画なんて見ないんでしょうね。小心者です。
戦争に関して思うことは、
自分の爺ちゃんや婆ちゃんがどんな青春を過ごしたのかということですね。
話を聞くと、自分だったら生き残る自信が無くなりますね・・・。
よく戦争映画では戦争を美化してる部分があると思いますが、
そういうのはどうなのかと思います。
誰かが言ってたことですが「戦争なんて始めた時点でどっちも悪」なんですよね。
自分みたいな若造がどうこう言える世界じゃないですが、
思ったことを書いてみました。
失礼しました。
爆心地
管理者:小心者またはチキン
私が住んでいる隣の市に「回天記念館」という
ものがあります。また、回天訓練基地だったところも
この近くにあります。
太平洋戦争(2次大戦)のとき先端に爆弾を搭載した
小型の潜水艇(回天)で敵の戦艦めがけて操縦している
人間もろともぶつかっていったそうです。
操縦したのは二十歳にも満たない人が大勢いて
決して生きては戻れない文字どおりの決死隊でありました。
彼らはどういう思いで回天に乗り込んだのでしょうか。
回天記念館には彼らの最後の両親・家族に宛てた手紙が
展示されています。
大義としては国のため、国民・家族を守るためであったと
思います。
戦争というのは相手の国を根本から塗り替えようとする武力行為です。
相手国の憲法も政治も価値観も様々なシステムも何もかも叩き潰して
自国の色に染めるのが最終目的です。
どこの国にも戦争を起こす言い訳は存在します。国益を考えない
国や政治はないわけですから。ある国が自国の国益を著しく損なう
行為をしてきたとします。このことは注意を要することだと
思います。じゃあ、どうすればよいのか?すぐに喧嘩を仕掛ければ
よいのか?人間は鬼畜では無いはずです。おそらく・・・・・
他人事ではなく一人一人が考えないといけないことだと思います。
あなたのミニ・コンビニ
管理者:asagoさん
初めて知りました。
今まで日本は太平洋戦争をはじめた野蛮な国だったとの認識を持っていましたが、
動画の中の東南アジアの国々の首相のお話で、
アジアを自国を犠牲にしてまで守った英雄だったことを初めて知りました。
将来ある若者の命が戦争の犠牲になることは、許されることではないですが、
そのような大義があり、さわやかに散っていった若者たちがいるということ、
日本人として、誇りに思いました。
戦争について、もっと勉強してみたくなりました。
歴史は、自分自身、そして社会の未来の幸せのために勉強すべきですね。
少し重いテーマですが、考える機会をくださってありがとうございました。
around 40 奮闘記
管理者:yuuさん
今年の終戦記念日、たまたま移動中の車の中で
テレビ(走行中は音声のみですが)をつけたら、
知覧特攻平和会館からの中継をやっていました。
私が見たのは途中からでしたが、
旅立った特攻隊員、そして生き残った特攻隊員の方々のなかから
数名の人生とその家族の心情に焦点をあてているように感じました。
教科書の歴史では、“多くの人”になってしまう一般市民。
でも、その一人ひとりには、私たちと同じように家族や恋人や友達があり、
夢があり、仕事があって、紛れもなく その時代を生きていたんですよね。
時間が経ってしまって、判らないことも多くなってしまったけれど、
テレビで取り上げられた人だけではなく、
平和会館の資料として残っている人だけではなく、
その時代を生きた人達ひとりひとりの人生のドラマが、
そこにあったはずです。
運転しながら、思わず
胸がいっぱいになってしまうようなときもありました。
私の二人の祖父は、共に大正生まれ。
片方の祖父は 兵器や兵士の輸送に鉄道が使われたために、
食糧や生活必需品などの物資が届かなくなってしまった東京で、
化学会社の研究所で、薬品の研究をしていました。
もうひとりの祖父は、肺を患っていたため、
徴兵検査には不合格でした。
建築を勉強したのにも関わらず、空襲がひどくなってきた日本では、
建物を新たに造っている場合ではなく、
航空機を作る工場で設計技師をしていたそうです。
それぞれの理由で戦地へ行くことがなかった彼らと、
彼らを支えて戦火の下を逃げ延びた祖母たちのおかげで、
今の私の命があります。
今回、この記事をきっかけに、ずっと語られることのなかった戦争の話を
祖母たちに聞くことができました。
テレビや映画で見るのとは、また ひと味違う、
生々しい “生”の軌跡を、しっかり受け取ってきました。
語ってくれた祖母のひとり、あと数ヶ月で100歳になる祖母が、
話の最後にポツリと言いました。
「もう、私たちの世代しか、戦争の話を出来る人たちなんていないものね。
だからこそ、伝えていかなくちゃいけないって思ったわ」
祖父母たちが生きてきた、・・・というか、生き抜いてきた時代は、
今の時代を生きる者として、知っておかなくてはいけない歴史。
そして、忘れてはならない歴史だと思いました。
昨年は この記事を読んでも、コメントを入れられませんでした。
今年は この記事のおかげで、
ずっと心に引っかかっていた「今のうちに聞いておかなくては」という焦りを
学びに変えることができました。
私にとって、生涯忘れることのない 貴重な機会となりました。
ありがとうございました。
♪ウサコさんと私〜虹色ハッピーライフ♪
管理者:♪ねこ♪さん
終戦記念日によせて
3人の方がエントリーを作成されています。
よろしければ参照お願いします。
日常のるいるい×放課後電脳倶楽部 管理者:美舞さん
終戦記念日に血圧が上がりそうです
あなたのミニ・コンビニ 管理者:asagoさん
回天
♪ウサコさんと私〜虹色ハッピーライフ♪
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